チャリティ募金シール1日目の売上を振込み完了!
普段は赤十字募金に数十万円づつ貯まったら寄付するようにしてるのですが、今回は戦争ということで緊急性が高いので、ウクライナ大使館に直接寄付することにしました。
そういった事情で、昨日販売した「戦争と平和シール」が1日で売れたぶんだけ、早急にウクライナ大使館に寄付しましたよ!というお話です。(振込先は上記画像参照)
メルマガでも書きましたが明日は我が身ですからね。
ぬるま湯に浸って高みの見物してても、こんな状況になったら、猫も杓子も「助けを求める」に決まってるんですから。(画像引用:はだしのゲン)
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なによりも自分にとって意味があるのは、シールで寄付をするという仕組みが重要なのです。
ただ金を寄付するだけだと、金額の上下が左右されるから、生活に余裕のない人は、寄付しようという気持ちにはならないかもしれない。
けれども、人間は誰しも、何かしらの趣味や欲求というものがあるわけですよ。
シールコレクターならシールだろうし、音楽マニアなら音楽配信とかね。ギャンブラーならパチンコとかさ。まぁ、何でもよいのだけれども。
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ならば、そういう仕組みやシステムの輪に、こういうぶぶんを組み込むだけで、誰も損しないで、プラスがもたらされるでしょ?っていうことなわけ。
購入者の立場としては、シールが欲しいから買っただけでも、人助けにはなるし、もちろん寄付に貢献しようという意思でもシールは手元に残るわけだ。
そのシールには、付加価値というものがあるわけだから、シールコレクターの流通の輪として存在していくことで形として市場に残るわけ。
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単なるお金の寄付だと無形の産物となるけれど、シールを販売して、その売上を寄付することで、そのシールじたいが意味があるものとして市場に残る。
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意味わかるかな?シールは交換トレードもされるし、中古でも売買できる。仮想通貨なんかよりも、はるか昔から、この市場流通のシステムを確立してきたという歴史があるのだ。
記憶は風化するけれど、作品は風化しないからね。
ちなみに上記はパブリックドメインの原爆落ちて街が破壊されても、しぶとく残る仏像の写真。
最後に何が残るのか?それは誰にもわからない。地下シェルターに保管されていたわけでもない、仏像や鳥居が爆弾よりも強く原型をとどめて残っているというのもまた、不思議なものだ。
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こういう底力をもちつつ、自分の意思で自分にしか出来ないことを淡々とやっていく。
たかがシールと思ってる奴もいるかもしれねーけれど、重要なのはシールという形ではなく、それを通じて作り上げるシステムのほうなんだよね。
だから俺は、自分の作る作品には全て意味があるというわけだ。
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シールで世界は変えられないかもしれない。
シールで世界は変えられるかもしれない。
仏像で世界は変えられないかもしれない。
仏像で世界は変えられるかもしれない。
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仏像のようにしぶとい信念で自分の意思を貫き通すし、シールという武器を使うことが、今の自分の状況でできうる仕組みづくりだろう。
作品には意味がある。戦争なんか起こるはるか前から俺は伝えていることだ。
シールで誰かを救うことができる。戦争なんか起こるはるか前から俺はチャリティーシールを企画して伝えていることだ。
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世界で何が起きようとも、俺は俺を救うのである。俺が記憶喪失になろうとも俺の作品の意味は世界に残るし、それを俺が見て感じるものがあれば、そこからReスタートできるではないか。
極端な話、そういうことだ。
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世界中のどこにいようとも仏像のようにしぶとく生き!汚染された正義感ではなく、自分の意思で正義を考え、選択し、行動してやる!
「親として子に何を伝える?」それも資質が問われる。
上記の画像のように(画像引用:はだしのゲン)こうした状態が現実に起こってるわけだからさ。自分の立場に置き換えて考えてみろということさ。
ドM野郎の変態プレイやメタバースで起きてる出来事じゃぁないんだから。
自分の身に起きるとしたら空想論ではなく現実的には、そういうことだと思う。
自分ならどうする?ってことだよね。
つねに、そういう意識は大切だと思うんだ。人がどう思うかは、どうでもよくて、自分の中では、そういう意識が大切だから、こういうチャリティーシールを作って、こういうBLOGを書いて伝えているということなのである。